モネはジヴェルニーの庭がどのくらい見えていたのだろうか?

 今回のモネ展には、1923年に白内障の手術をしたあとの視覚異常を矯正するための眼鏡が展示されているが、ここにリアルな説明が加えられている。そこには「左目のレンズは、左右の眼の見え方の違いから生じる二重像を防ぐため、不透明になっている。右のレンズは手術を行った眼のために少し黄色にしてあり、分厚い凸レンズになっている。黄色は青が強く見える状況を改善し、さらに以前より光をまぶしいと感じる問題を解消してくれるものとなった。」とある。(註:モネ展カタログ136p、YG署名テキスト)

 この眼鏡は制作における二重像や青が強く見えてしまう症状を改善するもので、それによってキャンバスと自分の距離、特にキャンバスへの絵具の“付き”をしっかり把握したのだろうと予測する。ではジヴェルニーの庭の風景、特にその頃描いた「日本の橋」や「バラの小径」にある風景そのものは眼鏡を外して見ていたのだろうか?眼鏡を外して見たとしても、この時の視覚像は二重像になっているであろうし、眼鏡をかけて見ていたら、これは分厚い凸レンズであるから遠くはぼやけてしか見えないだろう。

 それ以前の1912年に白内障と診断され手術を拒んできたが、ひどい時には色を識別できず、右目は光と動きを関知するのみ、と説明があり、手術の前に描いた「日本の橋」の連作は手術後制作が続けられ、「バラの小径」の連作は手術後に制作されることはなかった、との指摘もある。(註:同カタログ131p、YG署名テキスト)

 また同じカタログのクレール・グーデン(マルモッタン・モネ美術館学芸担当)のテキストによれば、「中略・・手術後モネは徐々に視力を回復し、再び色彩を知覚できるようになった。新たな光のもとこれらの小さな作品を改めて見たモネは驚きを覚えた。・・中略」とあり、モネが手術前に描いた自作に何らかの発見をしたことが暗示されている。

  モネはそこに何を発見したのだろうか?

 それは視覚の不可能性によってあらたな絵画が成立してしまう可能性ではなかったか?

 実際に絵を見ながらその意味を考えていきたい。

 

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No.84<バラの小径>1920−1922

 

 カタログNo.84の<バラの小径>にはその視覚のあり方が詰まっている。どのように詰まっているのか。それを見つけるためにはその絵画を見る距離を変えて見なければならない。

 まずはモネが描いたであろう近い距離に立ってそれを見る。絵具が激しいタッチで塗られ全体に何が描いてあるのかさえわからないが、下のほうに三つか四つぐらいのアーチ状のつながったタッチがあり、これは小さくなるにつれてぼんやりしている。それと対照的に画面の上のほうには少し荒めのはっきりしたタッチでほぼ真ん中に白い絵具がはっきりとついている。絵具を塗っているという生の現実感はあるが、何が描かれているのかはわかりづらい。この絵を7、8メートル離れて見るとどうなるか?

 アーチ状のものは、大から小へはっきりと“奥に行く感じ”が表現されているように見え、その上にある白い絵具は覆い被さる樹木の葉の隙間から見える“空”になっている。つまりキャンバスについた絵具が、あるところから見かけの奥行きに見え、逆にその絵に近づいた場合、奥行きと見えたものが物質としての“絵具”に見えてくる瞬間がある。この振幅の激しさこそがモネのこのふたつの連作に共通する絵画体験の醍醐味なのではないだろうか。そこでは現に見ている風景がクリアーかどうかは関係ない。“光と動き”さえあればよいのだ。

 モネが風景を見る。それは以前のようにはっきりしてはいない。二重に見えたりかすんで見えたりしたのかもしれない。白内障の症状としては、かすむ、まぶしい、二重に見えるなどの症状があげられるが、そのいずれかが現れて上記のような眼鏡ができたのだろう。それは視覚の不安定を意味し、風景とそれを見ている自分の関係の不安定さにもつながっている。

 しかしそのことこそが成立した絵の見え方の奥行きを形づくっているものと思える。これらの絵を近づいて見たり、離れて見たりすることで見えてくる不思議な視覚体験は、他ならぬモネの視覚の不安定さから出てきているのだ。

 もちろんこうした絵画の豊かさを白内障のせいとばかり決めつける訳にはいかないが、私自身にも少し白内障の症状が現れ、人間の誰もの視覚が年齢とともに衰え、最終的には閉じる方向に向かってあることを思えば、この症状が持つマイナス面の新たな可能性に注目せざるをえない。

 もうひとつの例、カタログNo.80の<日本の橋>を見ると、これは想像だが手術前の視覚と、手術あとの“触覚”とが混じりあっているような気がしてならない。表面の赤っぽい絵具は、下の緑色の絵具を押さえ込むように混じりあい混沌となるように触覚的に描かれ、それはまるで人間の原初の視覚のようなものを思わせる。

 

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No.80<日本の橋>1918ー1924年

 

 全盲の人が手術をして世界が見えるようになったとき、窓にはその向こうの風景が張り付いているように見えた、という体験談を読んだことがあるが、そうした世界が秩序立って見えてくる前の姿がここにある。しかし、この絵も荒いタッチながら絵具はしっかりとついていて、少し離れて見れば、池がありそこに太鼓橋がかかっていることがぼんやり、しかし確実に見えてくる。

 マルモッタン美術館は今までに2回訪れているが、いつもこの連作の絵の不思議さに見とれてしまう。モネの晩年の絵は一定の距離から見るものではなく、引いたり迫ったりしながら見る位置の不安定さを体験するものなのだ。

 そしてこのことは、近代以降の人間がそこまでに築いてきた確固たる位置から世界を見ることが崩れたことを意味し、視覚(認識)中心主義が成り立たなくなったことをも意味する。遠近法がその多くの役割を担っていたことは言うまでもないが、それが失効しつつあった。その確固たる位置を束縛と見るならば、人間はそこから解放され自由になったのだが、同時に自分がどこにあるのかわからない不安のなかに落ち込んだとも言えよう。

 さらにいえば、その不安こそが皮肉にもその後の視覚テクノロジーを発展させてもきたのだ。したがってモネのこれらの連作は、絵具の質感や手触り、その時間などの点で現代のデジタルカメラやパソコン画面とは全く反対の極にあるものと言えるが、逆にテクノロジーの先を胚胎していたと言うこともできる。テクノロジーの認識方法は人間のそれを模倣し拡張したものに他ならない。したがって認識の始まりは両者に共通する。デジタル画像が何らかのトラブルで乱れ、認識画像を表示できなくなった一瞬のエラー画像に近い感覚がこれらの連作に見て取れなくはないか。

  私の自問はこういうことだ。現代において絵画はほんとうに終わりに近づいているのだろうか?もしかすると終わりに近づいているのは絵画ではなく人間そのものではないか?私たちはモネの連作を見ながら別の岸辺に立ち、別のところに行こうとしているのではないか。それはアンドロイドの岸辺と読んでもいいし、盲目者の岸辺と呼んでもかまわない。そこでの絵画はいかなるものなのだろうか。モネの連作はその出発点にある。

 

参考:サイ・トゥオンブリの写真と霊媒、あるいはモネとケリー ⇒ https://wp.me/p2JXcK-fu