「私が生まれたとき・・・」の展示ー死者との対話

「私が生まれたとき・・・」の展示ー死者との対話

2015年7月15日

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 死者との対話は可能だろうか?

物理的には不可能であっても、例えば恐山のイタコのようにそこに対話の空間をつくることができないものだろうか。「心霊教室」のこだまを遠くに聞きながら、ドローイングと文章でその「対話」を試みたのがこの展示である。

 展示は「私が生まれたとき、・・・」で始まる文章と、各人から提供していただいた写真をもとにしたドローイングからなっている。

文を書いた人たちは「ムサビる!」の学生であったり、私の友人であったりするものの、特別に選んだ人たちではない。また、その作成に関しては自分に関係した事実ばかりでなく、周囲の人のことや家族の話でもよいことにした。

個人に基づくものは可能とするが特定はしない、これが今回の方針で、それはフィクションや文と写真が別の家族との組み合わせになる可能性をも意味する。始まりは個人の思い出や記憶であっても、それは特定の人のそれに留まらず、歴史や他者への思いに通じるようにしたいと考えた。

 そうして写真からドローイングをおこしていった。

 一枚の写真にはかつての一瞬の時間があり、それが閉じ込められている。一方、ドローイングはたとえ一枚の写真を見て描くにしても、時間を必要とし、しかもそれは同じ感情の時間ではない。私は揺れ動く感情の時間を擦り込むようにそのドローイングをつくり、文章に寄り添わせた。

 写真の持っているひとつの時間を、今生きているこの時間につきあわせようと考えた。写真を反復することで、かつての一瞬のリアルさではなく、それと今の時間の距離のリアルさに近づこうとしたのである。

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私が生まれたとき、わたしはいも虫のようだった。
呼吸をしながら声を上あげ、声をあげながら呼吸をした。それがわたしのすべてであって、身動きもままならないいも虫のようだった。まだ、からだというものがなく、ただ呼吸する生きものだった。
そのうち手が生えてきた。手は一本で、食べ物をつかむためにそれを使うようになり、わたしは自分に手があることにふと気がついた。
それから長い長い夢を見て、夢のなかでわたしは初めて別の生きものを捕まえた。生暖かくて、懐かしいような、それでいてなにか自分とは違う別の生きものに出会った気がした。
わたしはその生きものを捕まえて離さなかった。
それを捕まえながらまた長い夢の眠りに入っていった。
そうして目が覚めたとき、私は右手で左手を握っていた。私の捕まえた生きものとは自分の手だった。
こうして私は自分に手がふたつあることを初めて知った。
私はもういも虫ではなかった。自分の手を発見したからだ。
そしてまた眠りのなかで土をつかむ足の夢を見てそれから足を発見した。
私は眠りのなかで他の生きものをつかみ、地をつかみ目を覚ました。
そうして何年も生きてきた。
猪野晋(1947)

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私が生まれたとき、それは40億年も昔のことですが・・・

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