遠くへ行きたい

遠くへ行きたい

2018年10月12日
「生命体No.8」

 東京国立近代美術館での小企画展として「遠くへ行きたい」が10月6日(土)から来年の1月20日(日)まで開かれている。東近美コレクションの中からの一点ではあるが、この企画が永六輔作詞の歌からのヒントであることがおもしろい。「遠く」の意味は深く実は身近でもある。これは大小(遠近)のドローイングのなかの8番目という意味でNo.8とした。No.1では宇宙飛行士が点のように小さくなっている。

 大小も遠近も相対的なものであろう。スウィフトは当時のイギリスを相対的に見ようとして小人の王国と巨人の王国に身を置いたのではないか。ここから見て”それ”が遠くにあれば”それ”は小さいし、目の前にあれば”それ” は大きい。ガリヴァー旅行記は、私の解釈では遠近法の物語でもあるのだが、それが発明された時代と決定的に違うのは、自分が“そこ”に行くということであろう。遠くにある世界に直接入っていけば小人の王国(自分は巨人)、顕微鏡をのぞくほどに近くに行けば、巨人の王国(自分は小人)にいることになる。前者が当時のイギリス社会を暗示し、後者がスウィフトが考えたであろう理想社会だとすると、それは心理的な遠近にもつながってくる。

 振り返って絵にもどる。なかなか気がついてもらえないが、この絵の腹部、宇宙飛行士の生命維持装置にあたるところに髑髏を描いた。見るときに頭を左に90度傾けてもらえればその像が確認できるはず。死=生命維持装置でもある。