対話「私が生まれたとき」神戸 25+1年あと(未来)の記憶 展が最終日に中止となった。国の緊急事態宣言の発出により、神戸市管轄のKIITOが休館を決定、ギャラリーCでの展示も中止となった。この展覧会はもともと昨年の5月に予定していたものだったが、やはり緊急事態宣言によって中止となり、その後「文化芸術活動の継続支援事業」の補助を得て今年の2月に再開予定するも感染拡大で再延期、ようやく5月に再開が決まったいきさつがある。コロナに始まってコロナに終わった展覧会であったが、こうした状況のなかでの展覧会の難しさも実感した。いや、状況に関わらず展覧会は難しいのだろう。現代にあっては、展覧会の時間そのものをつくることがまず難しい。その時間とは、つくる側の時間、展示する側の時間、見る側の時間とさまざまあるが、そのどれもがアナログな時間であり、物理的、身体的なものも絡んでくる。それはともすると単純にデジタルな時間と対抗されて不要不急なものとされやすく、情報の波のなかに流されやすい。そうした二項対立ではなく、たとえばアナログのなかにデジタルな時間が入って錯綜するとか、逆にデジタルな時間にアナログが壁になって現れるとかしない限り、この問題は解消されないだろう。
さまざまな変異ウィルスの登場によって行動も限られた。友人とアクリル板越しに食事したことや、8時でお店を出されたこと、別の日にはアルコール無しでの食事、そして多くのひとに「周囲で感染したひといる?」と聞くと「いない」と応える。どこでどのような状況で感染したのか知らされることもなく、ニュースで感染者の増大とその重篤さが伝えられる不気味さ。
生殺与奪の権を持つ為政者がこちらを見ないで話す。おーい、とどかないよー。医療崩壊も恐いが政治崩壊はもっと恐い。聖火、聖なる火が踊らされている。おかしい。
アカデミー授賞式のマクドーマンドのぼさぼさの髪に感動!
Go to travel はOKだったけど、今度は人流を止めるという。同じことなのに…
さて展覧会のための特設サイトはこのまま続行。展覧会のドローイング作品50点余と執筆協力者の全文章、初日の服部正氏とのトークもすべてここからアクセスが可能。⇒ https://taiwa-kobe.official.jp/