はじめに
2020年は1995年の阪神淡路大震災から数えてちょうど25年にあたる。凄まじい早さで過ぎていった時間と積もった時(とき)を思いながら、対話「私が生まれたとき」神戸—25年あと(未来)の記憶—を始めた。
前回(奄美)と同様、これはそこに住んでいるひとに「私が生まれたとき」で始まる文章と、関連の写真を提供してもらい、私がその写真をドローイングにして展示するという企画である。
過去の歴史を呼びおこす、という大まかな意図はあるものの、文章や写真に関しては特段限定しないという条件のもとに参加者が集まった。それでも震災を語ったものが多くなったのは、ごく自然なことのように思う。
震災の真っただ中にいたひと、そのときまだ生まれてないひと、そうでないひとのものまで、集まった文と写真は多種多様になった。
私たちの時代にあったこと、何人かの言葉とイメージ、断片的なものではあるがそれらを集め、組みたてなおすことによってなにか別のものがよみがえるような予感があった。そうしてドローイングが生まれ、文章ができあがった。
ひとは写真を見て記憶を語る。今回の企画に参加してくれた人々もそうだった。そのなかで感じたのは、記憶は過去のことではなく“今”にこそ呼びもどされて意味をもつということだった。
私は脳の損傷によって記憶を喪失した友人のTさんのことを思い出す。回復期の彼は自分の空白を埋めようとして必死だったが、そのうちそれよりも自分には“今”があることを重要に思うようになっていった。その後、短期記憶も失われていくなかで「一瞬一瞬の今しかない」と言い、いつもポケットに何枚もの写真を持ちながらそれを見ていた。そのポケットのなかの写真は、彼の個人的なものであったが、私はそれらが今回の神戸のひとたちの写真であることを想像した。
写真をドローイングすること。それはそうした写真に写っているひととの対話であり、記憶を失ったTさんとの対話でもある。
巻末文 「ここにいない」
写真に写っているひとは、いまはもうここにいない。たとえ生きているひとであろうとその姿はここにはない。写真のなかの人が私を見ている、ということは、いまはもういないひとが、過去のある時点からここにいる未来の私を見ているということになる。それは不在から現実へのまなざしである。
写真プリントを見ながら、かつて存在したひとやものを鉛筆でなぞりながらそれを紙に写す。同じ写真でもプリントにはまだしも物質としての肉体があるからこちらもそれに呼応しなぞることができる。デジタル情報が透明な記憶とすれば、こちらは不透明だが触(さわ)れる記憶だ。
だから写真プリントはカメラという死者の眼から引き出されたものであるにも関わらず、不意打ち的に生と繋がる。
プリントに映った影を写す。そこにできたものをなぞる。コピーのコピー。
それにしてもなぜひとはアルバムを見て、その時を想起し語るのだろうか?
写真は不在のひとをそこに呼びおこすことができる。そのときひとはささやかながらもイタコやユタのような存在になり、不在のひとを現実に呼びおこすのだ。語られなかった過去の時(とき)を、いま語る。
私も写真プリントをなぞることによって、かつてあった時(とき)を想起する。しかし、そこから思ってもみないものが立ちあがって来るのはなぜなのか?それはどこからやってくるのか?
そのひと個人の記憶、ましてや私の記憶でもなく、はたしてそれは記憶と呼べるのかどうかもわからない、はるか遠くのかなたから弱々しくとどく光のようなもの…私はそれを見たい。
(長沢秀之)
展覧会カタログ