「Le Meraviglie」(夏をゆく人々)、ヴィヴィアン・マイヤー、そして失敗について

展示コンセプト

  「・・・この世界は終わろうとしている」このことばひとつで映画は俄然輝いてくるのだった。映画Le Meraviglie(メラヴィリエ=不思議、奇跡、驚き。ちなみに日本語版題名は「夏をゆく人々」)の主人公の父がテレビに映されたほんの一瞬で言うことばである。そしてエンディング、この父親が主人公のジェルソミーナに買ってきたラクダを映すカメラが一回りする間に、この一家の家は誰も住んでいない廃屋になっている。いや、この物語自体が存在しなかった、あるいはもうとうになくなってしまった物…

私が生まれたとき・・・Part2(展示風景も含む)

日常

他にもたくさんの文とドローイングがあります。たった2日間の展示ですが多くの人に見ていただきたいと思っています。(なおドローイングの下に掲示した文章はキャプション覧の都合上段落が詰めてあることをご了解ください。) また冊子のデザインはデザイナーの大橋麻耶さんにお願いしました。表紙カバーの薄紙を広げると巻頭のドローイングがでてくるつくりとなっています。鉛筆の灰色の質感がうまくでているので会場でお手に取ってご覧ください。

LA、NYの美術館で感じたこと-KAKEHASHI Projectに参加して

日常

 国際交流基金のKAKEHASHI Projectで11日間、学生とともにロサンゼルス、プロビデンス、ニューヨークを回ってきた。訪問した美術大学はRISDやPratt Instituteなど4校、その報告は大学ですでにしてしまったのでここでは美術館で感じたことを中心に話を進めたいと思う。  トーマス・デマンドはすでに東京都現代美術館での展示があったから多くの人が知る作家だと思う。紙で克明に現実の場をつくる作家である。この人の作品に「Pacific Sun」という映像作品があ…

ゴダール「さらば、愛の言葉よ」犬、言葉、そしてここ

日常

 誤読と誤解を引き出す作品はやはりいい作品なのだ。だからひとつの解釈を受け取るように誘導していないこの映画は、つまりどう解釈してもよく、そのような意味でこの作品はこの上なくいい映画なのだと思う。思わずだれかに書きたくなるような、言いたくなるような、今までのゴダールの映画の中でもとりわけわかりやすい映画なのではないかと思う。  それにしてもゴダールがなぜ3Dなのか?という疑問があるにはあった。それが最初のほうのショットで氷解する。「ググるな・・なんとかかんとか」と言うline…

2014年「GODZILLA]

日常

2014年「GODZILLA」  アメリカの映画「GODZILLA」が公開されている。これを撮ったギャレス・エドワーズ監督が日本の1954年「ゴジラ」に並々ならぬ敬意を抱いていると聞いていたので少し期待しながら見に行った。  「ん、なにこれ?」が、見終わった時の印象だ。アメリカではヒットしたらしいが、私はそれがわからない。  まずゴジラの造形がよくない。太ももや足は日本のゴジラの影響を受けて太くどっしりしているが、顔が魅力的でない。制作にあたって、「犬や熊の顔を研究し、また…

つくること、バカやること

日常

 うーん、やっぱつくることはバカやることだな! バカになる、ってことじゃなくてバカを平気でやる。これはなかなかできないよ。だってそんなことやってもばかばかしく思ってしまってどうしてももっとまともに考えてしまう。  ばかばかしいことを楽しんでやる。それがなかったらつくることなんてできない。言葉をやる人に比べて絵をかいたりものをつくったりする人のほうがその点ははるかにバカに向き合っているということは、以前の「大きいゴジラ、小さいゴジラ」のところでも触れておいたが、これは別に卑下…

たまにはクジャクを解放しろ!

日常

 「たまにはクジャクを解放しろ!」というのはなかなかいいことばだ。クジャクがいつも鳥小屋のなかに飼われていることをさしていっているのだが、かつてのピーコックレヴォリューション(*注1)を想起させ、しかもちょこんと“たまには”をつけたのがいい。 「海のバカヤロー!」はかつての青春ドラマの決め文句だけど「小平に海をつくれー!」には地域性とナンセンスがある。 また「ムサビの建物にぜんぶ色をつけろ!」もはっとする。こういう発想はわるくない。塗りつぶすことからなにかが生まれでてくるか…

日常に侵入する「ホーリー・モーターズ」

日常

 レオス・カラックスの「ホーリー・モーターズ」を見た衝撃がおさまらない。  “「日常」に侵入する映画”と言うべきか。  映画はドキュメンタリーでない限り、フィクションであり虚構の出来事なので、現実生活の日常とは一線を画している。それゆえ、作品がどんなに日常の風景を描こうとしてもそれはやはり映画という虚構のなかのことととらえられてしまう。かくしてもっと日常感覚を映画に入れようとするとそれは必然的にドキュメンタリーとならざるを得ない。美術が「日常」をやろうとしてもただ平凡で身近…

ベーコンの犬の絵

日常

Y: ベーコンの犬の絵、見た? H: あの絵すごい、いいよね。マイブリッジの写真をもとにして描いているようだけど、時間を停止させた写真の反対をいくようで、延々とこの時間が続いていくような恐怖があるな。映像に近い感じもある。 Y: だけれどあの絵はガラスが光っていて見づらいよ。 H: そうそう、右に行ったり左に行ったりなかなかよく見えないけどそれもおもしろい。 Y: あれはベーコンの指定なんだろう。金の額縁といい、光ってよく見えないガラスといい「この絵、凶暴につき・・」って感…

『精神世界、物質世界』、『博士の異常な愛情』

日常

 桜沢如一の「無双原理・易」には次のことばが出てくる。 「西洋人は、東洋人にとって地理的には反対の世界、すなわち裏側に住むばかりでなく、思想的にも反対の世界に住んでいる。われわれ日本人が空気のように感じている精神世界は、彼らにとっては、とても分かりにくい世界であって、彼らが物質世界をいかに深く生きているかということは、われわれには完璧には分からないのではないかと思われる。」(この著は1931年にパリで出版され、今またマクロビオティックの原点として注目されている)  よく言わ…