対話「私が生まれたとき」奄美編、その他

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 未来の幽霊―長沢秀之展一階展示室2で展示された「対話」—奄美編(長沢のドローイング+奄美の人々の文章)がところを移して奄美市でも開かれます。(アイキャッチと下の図版はそのドローイングの一部)◯とき:2018年3月25日(日)〜4月15日(日)◯ところ:田中一村記念美術館企画展示室私が生まれたとき‥で始まる奄美空港開設の文は報道カメラマンの越間誠氏による。図はその写真集「奄美 二十世紀の記録」からの引用によるもの。  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー…

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 関連イベント対談2日時:2017年9月16日(土) 14:00〜15:30会場:武蔵野美術大学美術館 展示室3出演:山本和弘(栃木県立美術館学芸員)・ 長沢秀之対談1 (終了)日時:2017年9月9日(土) 14:00〜15:30会場:武蔵野美術大学美術館 展示室3出演:佐々木敦(批評家)・ 長沢秀之カタログテキスト「長沢秀之の新しい絵画についての一考察」 山本和弘 [PDF]「視線の幽霊」佐々木 敦 [PDF]「未来の幽霊」 長沢秀之 [PDF]

「私が生まれたとき・・・」の展示ー死者との対話

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 死者との対話は可能だろうか? 物理的には不可能であっても、例えば恐山のイタコのようにそこに対話の空間をつくることができないものだろうか。「心霊教室」のこだまを遠くに聞きながら、ドローイングと文章でその「対話」を試みたのがこの展示である。  展示は「私が生まれたとき、・・・」で始まる文章と、各人から提供していただいた写真をもとにしたドローイングからなっている。 文を書いた人たちは「ムサビる!」の学生であったり、私の友人であったりするものの、特別に選んだ人たちではない。また、…

「絵画のなかのあらゆる人物は亡霊である」展示コンセプト

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  絵画のなかのあらゆる人物は亡霊である。それは死者の像である。 なぜ絵画がそこに亡霊を呼び込むことになるのだろうか? なぜそこに死者が出現するのだろうか?  夢幻能において、亡者は橋懸かりをへて能舞台に出現する。橋懸かりとは言うまでもなく、この現実とあの世との境にあるものだが、絵画の構造もこの橋懸かり的な意味を持つ。  木枠とキャンバス・・・白い下地が塗られた表面は、この現実が続く境目の位置にあり、そこから先、キャンバスの向こう側は誰も知ることはできない。それはあたかも橋…

「第五福竜丸 ゴジラ 1954→2014」 丸木美術館

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  9月13日(土)から丸木美術館でゴジラの展覧会が始まる。  正式な名称は「第五福竜丸 ゴジラ 1954→2014」で会期は11月15日(土)まで。学芸員の岡村さんが川越市立美術館での「大きいゴジラ、小さいゴジラ」展を見、九月に予定していた展覧会に展示しないかというお話をいただいた。丸木美術館といえば、丸木位里さん、俊さんの原爆の図で知られているが、私の好きな丸木スマさんの絵も多数展示されている。展示の巡回の可能性も考えていたこともあり二つ返事で了承した。  粟津潔さんの…

「大きいゴジラ、小さいゴジラ」展示コンセプト

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           『大きいゴジラ、小さいゴジラ』(川越市立美術館)    —長沢秀之—  「大きいゴジラ」は、1954年の映画「ゴジラ」*(注2)をもとにしています。戦後まもない時期につくられたこの映画は暗く陰鬱で決して娯楽作品とはいえませんが、それゆえに私たちをひきつけてやまない不思議なちからをもった作品です。1954年と言えば米ソ冷戦が激しくなった頃であり、アメリカが南太平洋のビキニ環礁で水爆実験をし、折からマグロ漁船の「第五福竜丸」の乗組員がその実験の放射能をあび…

「心霊教室」展

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展示は終了しました。9月に冊子が刊行されます。