「C-通信」ドローイング展                             9/10-10/15                          C-TRANSMISSION DRAWINGS /             GALLERY MoMo(Closed on Sunday, Monday, National holiday)

「C-通信」ドローイング展  9/10-10/15  C-TRANSMISSION DRAWINGS / GALLERY MoMo(Closed on Sunday, Monday, National holiday)

2022年8月23日

色は記憶に結びついている。それはひとの記憶だけではなく、もっと古層の生物としての記憶である。

生物の目は先カンブリア紀の5億4400万年前から5憶4300万年前の100万年間に誕生したという。回折格子といわれる、生物にそなわった反射多層膜から反射される構造色を感知するようになった初期の目は、捕食とそれから逃れる両方の意味があった。そうであるならば、色というものが生物にとって深く感情と結びついていることが納得される。それは生きるか死ぬかの瀬戸際にあるものなのだ。生きものの記憶は生き延びるための記憶として肉体に刻み込まれてきた。

絵をつくり出すえのぐには、どこかこうした遠い記憶を呼び覚ますものがあり、単なる物質をこえた(せい)のにおいがある。それは身体からひねり出されるように存在し、そこに深層の記憶が漠然とした感情として噴出される。

いつの頃からかえのぐが使えなくなり、絵にリアルを感じなくなった。絵の記憶喪失なのか、あるいは単純に生の衰えによるものなのかわからない。そのかわりに鉛筆を紙にこすりつける作業をからだに得た。その始まりは、Covid-19が急速に広がりつつあった2020年の3月の半ばにあり、連日現れる奇妙な夢を反復しながら、閉じた目のなかのものをあからさまにしようと試みた。

それらはたぶんドローイングというものに近いのだろうが、閉じた目、あるいは脳のなかにある像(Image)の再現という意味では映像をつくることに近いのかもしれない。これらをとらえるには短期記憶の素早い発現が必要で、考えられる素材は鉛筆と紙と消しゴムしかありえなかった。絵では時間がかかりすぎて不可能だったろう。進むにつれて夢(画像)のほうが意識を持つようになり、それはまだ知らない他者の夢となり、自分自身が他者の夢のなかにとりこまれ、その一部となっていった。           一連のドローイングワークは、おぼろげに見たものを再び目の前に出現させようとする不可視をめぐる旅のしるしでもある。

過去はしばしば、まるで未来のように前方に立ちあがる。えのぐのことを考えながら、過去の時間に埋もれていた絵画群が、いまふたたび目の前にあることを実感する。現在進行形の“ドローイング”に対応するのはそのような絵画の一部であり、これらもまた夢のごとく、眼前に見られることがなかったものである。

* 回折格子:液晶やCD裏面のような薄膜や小さな凹凸による波形構造で、そこから反射される光はその仕組みから構造色といわれる。生物でも蝶の翅や魚の銀色などがこれにあたる。構造色は動きなどにより変化するので色素色よりも見分けやすく、原始生物の目はこれをとらえていた。 参考:「目の誕生」カンブリア紀大進化の謎を解く アンドリュー・パーカー著

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