C通信 高齢者がコロナにかかったら−1

C通信 高齢者がコロナにかかったら−1

2023年1月17日

Covid-19についにかかってしまい、一週間のホテル療養をすることになったことについて

 コロナとインフルの検査で約30分後にコロナ陽性と判断され、クリニックから保健所に連絡、その時点で自宅療養かホテル療養かを迫られる。家族のことがあるからホテルを選ぶ。              それまでの間、寝室を分けて家族ににうつらないようにベッドなどを移動。クリニックに薬を取りに行きもらい医師と電話でやりとりする。ホテルから連絡があり明日10時15分に車で迎えに行くとのこと。まだ症状は軽くて、時々咳が出る程度、しかしその咳もいつもと違っていて胸のうえのほうがむずむずして咳き込む感じだ。症状は軽いと書いて提出したがこれがもっと重くなるとは思いもしなかった。

一日目。                                             翌日に電話がありピックアップ、もうひとりは若いお兄さん。運転手は電話でわかったけど外国からの人、名前は和名+洋名の若い女性で慎重な運転だ。車は運転席とビニールで分けられていて何かの連絡も運転手のケータイにすることになっている。そうこうするうちにホテルに到着、前の車が滞っていて、こちらは待機、ようやく下車して裏口から荷物を持って2階にあがる。また待機、見るところ10人くらいだがみな若い。注意事項の説明があり、そのあと自分の名前が書かれた封筒をもって各自入室、すぐ連絡がありHER-SYSのアプリを入れて体温と血中酸素濃度を入力、この時点では36.9度で97。咳も少なくまだ軽症の状態だった。食事は朝、昼、晩の3回、放送があり廊下に出てテーブルにおいてある弁当を取ってくる。最初は知らずに冷や飯を食べていたが途中で電子レンジで温めてもいいことがわかった。これは助かった。部屋はビジネスホテルなので狭いけど便利に配置がなされている。Wi-Fiもあるのですぐにパソコン、スマホに接続を確認した。あとはウイルスの悪さがやむまでじっと耐えるしかない。

 外は工場地帯で殺風景な景色、国のクールジャパン政策の学生派遣に付き添い、ボストン近郊のホテルに泊まったことを思い出す。あのホテルもこんな郊外の景色だった。でも内装が全く違った。大理石をふんだんに使ってありひとりで泊まるには豪華すぎるほどだった。ここは質素で隔離にぴったりだ。

夕方になって体温が37.5になり体もゾワゾワしてきたので入浴はせずに9時前に就寝。

二日目。体温が37.7から37.8ぐらい、ときに38の時もあり、咳き込み、喉も痛くなって来た。酸素飽和度は97から夕方には96に低下、ときに94,93にまでなるが看護士に聞くとパルスオキシメーターは結構変化し、ちょっとしたことで値が違ってしまうので自分の安定値をつかむことが必要と言われた。とにかく咳き込むようになり、ときどき「ふうーっ」「ううーっ」とおもわず声が出て咳き込むようになった。来たときより症状は重くなって来た。パソコンをやろうとするがあまりやる気になれない。友人たちにかかったことを知らせる。

三日目。体温は37.2 37.3度など酸素飽和度は同じ95。咳き込んで喉が痛い。常駐の看護師に知らせると、クリニックで処方されたカロナールをやめてロキソニンSを飲んでみてくださいとのこと。ドアノブに届けられたロキソニンとトローチを確認。夕方から飲むと少し改善したのでその旨報告。普通にじっとしている分にはそんなにたいしたことないが、食べるとき飲むときにかなり痛い。そおーっと飲み込む。こんなに喉の痛みを感じるのはシチリア旅行以来だ。かつていったシチリアの旅行先で、ぼくだけが喉に強烈な痛みを感じて飲むこと食べることができなくなってしまった。仕方ないので病院に行くと、混んでいたが旅行者ということで特別なはからいで診てもらうことになった。診断室より遥かに大きい手術室のようなところに5、6人の男女の医師がいた。「日本から来たの?」「遺跡を見て回っているのか。これからどこに行くの?」とみんな珍しそうに顔を向けてこちらの様子をうかがう。ベッド台に座ったり普通にリラックスしていて日本の手術室のイメージとはかなり違う。「マルサラに行く」というと、医師のひとりが「ぼくはそこの出身だけどあそこは行っても何にもないよ。」別のひとも「そうそう何もない」と言って笑いあう。また別のひとりが「でもマルサラ酒はうまいよ」と言うとみんな「Si」「Si」と言って頷き笑う。なんだ診察より話なんだと思っていると、詳しい症状を聞いたあとに処方箋を渡された。抗生物質を飲んで様子を見ることになったが仕事が終わるとまたなんやかんやの話になる。楽勝と言えば楽勝。でもなんか楽しい。気分よく病院を出たのを思い出す。でも薬を飲んでもあまり効果が出ないで、自然に直るのを待つしかなかったような気がする。

 夕方にはロキソニンの追加を処方してもらうためにオンライン診療をしてはどうかとすすめられ、そうすることになった。カロナールもロキソニンも痛み止めには違いないが、喉にはロキソニンのほうがいいらしい。看護師はこちらの話を聞いてくれて細やかに対応してくれるので心強い。家で療養していたらここまでは面倒見てもらえないだろう。ホテル療養は宿泊、食事すべて無料で看護師常駐なのでこれはいい制度だと思った。何人かのメールの返信が来た。かかった人からは喉の痛みがひどかったことを聞く。また熱は38度や39度の人もいてぼくの場合はそれよりは低いということもわかった。画家で親しい友人の木下さんは夜中の2時半に絵文字一杯の長いメールをくれた。「戦場の塹壕で身を潜めながら戦っていたとなりの戦友が弾にあたって倒れちゃった気分云々」と書いてきた。おいおいまだ死んじゃいないぜ。でもわかるよ。まわりの同世代はみんな驚く。慎重な長沢がかかってしまったと驚く。夕方体温が37度になったので入浴することにする。シャワーだけでもよかったがやはり体を温めたい。二日分の体のベタベタ感を取りたかった。直前に測ると36.6なので実行。熱のある感はなくなっていた。ただし喉の痛みと咳は時々ではあるがやまない状態が続く。

 そうして4日目。熱は嘘のように消えて平熱の36.5度に戻った。薬も効いたのだろう。酸素飽和度は97から98ぐらいでこれもよくなったが喉の痛みは変わらず。でも気分的にも大きく前進した感じだ。家族にうつってないかが心配だがメールで聞くと酸素飽和度は98.99とのこと。少し安心する。こちらに来たときは食欲もあまりなかったがこれも出てきた。弁当は工夫されていていろいろな食材が入っていて、今朝などはパン食になっていた。味は普通でぼくにはちょっとしょっぱすぎたり甘すぎたりするものが多いが、これは食べる量を調整してなんとかする。ここまでやってくれているのだから文句はない。でも夕べの晩はひとりで調理してうまいように仕上げて食べる夢を見た。いや贅沢は言うまい。かつて経験したところでは朝はパン切れ2枚ぐらい。昼夜は文字通り冷や飯だった。それに比べればここは電子レンジもあるし部屋も客室でWi-Fiもある。自治体も多くの人に感染させないようここでせき止めようとしているのだ。特にこちらは高齢者だから看護師も気を使ってくれる。昼過ぎにオンラインの診療をセットしてくれて医者とつながり咳止めの薬を処方してもらう。その処方がさきほど届き、その説明を薬局がする。そうして薬が届くことになっている。面倒ではあるが接触がないからお互いに安心してできる。今朝は6時50分ぐらいにおきたらちょうど日の出だった。いい景色だ。はるか遠くに筑波山が見える。そんなに遠くないところには新幹線あるいは特急の列車の高架線が見えてやがて列車が通過するのが見えた。…続く