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2015 Feb 11 | ゴジラと千羽鶴と第五福竜丸

九百九十九羽の鶴

 「ゴジラと福竜丸〜想像力と現実」展が都立第五福竜丸展示館で始まっています。昨年この話をいただいたときに展示館を見に行ったのですが、60年余も経った船の存在感に圧倒され、ここで美術の展示をするのは不可能と思いました。船に何かをつけたりプラスすることさえ、それは一種の“ねじ曲げ“のようなものになってしまうと考えたからです。

 船があるだけで十分であり、それを見るだけでそこに来た甲斐がある、そこに何をプラスするのか?こうした疑問が頭をめぐりなかなか展示の糸口と意味を見いだすことができませんでした。

 再び展示館を訪れた時に館に展示してある千羽鶴が目に止まりました。それは日本各地の小学校や中学校から寄せられた平和を願う言葉が添えられた7色に輝く千羽鶴です。もちろんここにあることに違和感を持つ人はまずいないでしょう。私もそのひとりで、あ、置いてあるなと思って見ていたのですが、違和感なく受けとめている私たちのそういう感覚そのものに興味を持ちました。

 その鶴ひとつひとつには、第五福竜丸事件のことが語られた後に個々が感じた思い、紙を折りながらつくっていった時間が込められています。そのようにしてつくることが現実の厳しさ、過酷さを反復するのだと気がついたのです。

 折り紙そのものはつくられたものであり、それは言ってみればフィクションに属することです。一方の第五福竜丸はれっきとした現実の歴史の証言者でありつくられたものではありません。私はこの関係をおもしろく感じて、ゴジラというフィクションをこの展示館に展示できるかもしれないという実感を持ちました。ようやくそこでやるという意味を見いだすことができたのです。千羽鶴がそのヒントになりました。

 

九百九十九羽の鶴

千羽鶴に並んで展示されている「九百九十九羽の鶴」

 そしてかつての学生がつくった「九百九十九羽の鶴」(岡村陽子、2004年)という作品を思い出し、それを千羽鶴と一緒に展示しようと思いました。これは写真のようにある意味では違和感のある作品です。

 多くの人が思う千羽鶴への願いと違ってこれは個人の願いだからです。一羽だけ数に足りなくて願いが届かない、という作品です。この欠損こそがアートの意味かもしれません。だから千羽鶴とこの作品はお互いに引き立てあいながら展示として成立している、少なくとも私はそう思っています。この作品によって極彩色に彩られた千羽鶴の存在が際立つのではないでしょうか?

 そしてもうひとつ船の縁には、しまってあった千羽鶴をお借りし、一羽一羽設置することにしました。こちら側にはもちろんゴジラのフィギュアが並んでいます。(写真参照)

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 このふたつは船とは対照的に、つくられたものでありながらリアルさを獲得しているものです。この展覧会の主題である“想像力と現実”を展示で示そうと思ったわけです。

 船自体はタイムカプセルのようなもので、そこに何か設置するなどとても怖くてできませんでしたがこのふたつ、折り鶴と小さいゴジラ群だけは船の縁に置かせてもらいました。

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 歴史を学ぶ場としての展示館、そして現実の深さを実感させる巨大な船の存在、そこにちょっとした遊びの場をつくらせてもらいました。展示は3月22日(日)まで、近くにはユーカリの森がありゴジラの足跡があり、ヨットハーバーも運動場もあります。ぜひ見に来ていただきたいと思います。(入場無料)