NH-Retrospective gallery Late 80s-1

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K氏邸にかけられていた80年代後半の自作 思いがけずに80年代後半の自作と対面。K氏邸の居間にこの絵がかかっていて一瞬「おもしろい絵があるけど誰のだろう?」と思ったが、すぐ自分の絵と気がついた。広い居間の壁にこの絵があることに妙に感心する。 この絵は、水の中から自分の頭部を探し出して持ち帰る、というその頃見た夢から即興的に描いたものである。脳中心主義の象徴でもある頭部を一旦置いて、それを体が持ってくる。ここには脳ではなく身体が世界を切り開いていくという思いが反映されている。…

NH-Retrospective-gallery Early 90s-4

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<無題>1991年 ここに描かれているのは、三つの目と、羽が生え掛けた天使的存在と、下に向かって飛ぶまたは落ちる人間(自分自身?)である。またこの絵は絵の具という物質を絵という特殊な物体にいかに変化させるかの実験の跡でもある。その時絵の具は魔術的存在となり、官能性を孕んだものになる。

NH-Retrospective-gallery Early 90s-3

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頭の大きな鳥のようなものに飛行術を習っている人(?)でもそのものは鳥のようには飛べない。    絵画は天の物でも地のものでもなく、その中間に掛けられるもの。その意味では、絵画を絵画足らんと模索している絵なのだろう。

NH-Retrospective-gallery Early 90s-2

これは92年に描かれたもので、上半部には前出の緑の「無題」と同じような棒のような存在が左上の丸いものを掴むようなかたち(目)が描かれているが、まだ朧げで明確ではない。代わりに低空飛行、あるいは落ちる人体のようなものが下部にある。全体的には消すタッチでつくられた作品。

NH-Retrospective-gallery Early 90s

90年代初期の作品に興味をもった人がいて、実際に作品を見てみたいという。倉庫に行きその年代の作品をいくつかスタジオに持ってきた。未発表のものも多いが、ちょうどいい機会でもあるので作品整理がてら、これから順次作品をポストしていきたい。90年代の作品から始めて80年代、00年代と振り返っていきたい。 <Untitled> 1993 oil& oil sticks on canvas まず一回目は1993年の「無題」作品。丸いたまのよう…

Intermission – Memory

脳のかたすみにある小さな記憶、2001年にイタリアで見たフィリッポ・リッピだったかピエロ・デラ・フランチェスカだったか、その肖像画の向こうに広がる湖面の風景のようなもの。長瀞宝登山のロープウェイから眼下に広がる風景を見たときに、甦ってきた。風景は脳の中でどのようにつくられるのか。

C-PAINTING Ⅷ <How to make a constellation- Nyoirin>

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パソコンやスマホなどのデバイスは脳の延長であり、その構造を模した道具であるとよく言われる。確かに演算の仕組みやアルゴリズムは人間の脳の働きを数値化してその機能として似せているところがある。このときいつも決定的に違うのは、デバイスには2次元のディスプレイモニターがあって画像がそこに映し出されるが、人間の脳にはそれはないということだ。当たり前のことだが人間の脳のなかには2次元画像も3D画像もない。いや、これはそういうのがないから、その脳の延長としてのデバイスが2次元に画像を再現…

C-PAINTING Ⅶ <How to make a constellation- Gabriel>

ふたつを並べて言うのも変だが、デバイス機器も人間脳も2次元像を必要とする。しかしいまは人間脳の側がデバイス側の2次元画像に圧倒的に支配されつつある状況だ。プロジェクションマッピングを見ればその度合いの強さがわかるだろう。万博では3Dの再現画像に音まで加えることに成功して“よりリアルに感じられる“ようになった、と言うニュースが流れていたが、どこがリアルなのか、さっぱりわからない。現実を分解して画像と音で分け、結びあわせただけじゃない・・・と言ってもそれを楽しむ人にはこれは伝わ…

C-PAINTING Ⅵ <OKINAWA – 1944> TSUSHIMAMARU

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&lt;OKINAWA 1944 - TSUSHIMAMARU> detail エトルスキの墓の絵は死者に向けられている。 かつてイタリアのエトルスキの遺跡をレンタカーで回る旅をしたことがあったが、もっとも印象に残っているのがタルキニアのネクロポリにある墓のなかの壁画だった。鳥や魚の狩りの図や裸のレスリングの図、笛を吹く青年がいる若者たちの楽団の図など、エトルスキの世界のあけっぴろげで楽しそうな場面が素朴な、しかし当時の世界を彷彿とさせるリアリズムではない的確…

C-PAINTING Ⅴ <Battle field of Memory>

記憶は脳の片隅、あるいは身体の一部でひっそりと隠されている。そしてさまざまな神経細胞の交錯の結果呼び起こされてそれがうっすらと形づくられる。その仕組みは偶然と錯誤に満ちているが新たなかたちを生み出す仕組みでもある。記憶に迫るときにかたちが生まれる。あるいはかたちが生まれるのはさまざまな記憶の蓄積が身体を通して発意されるときだ。 それには脳での蓄積とアクションが必要だ。