C-PAINTING Ⅹ <OKINAWA 1944>Tsushima Maru

C-PAINTING Ⅹ <OKINAWA 1944>Tsushima Maru

2025年8月23日

 色の点を置いていくのは、そこにある時間を閉じ込めるためであり、最初に描かれた像(イメージ)をいわば0次元にもどす試みである。次に一次元の直線をいくつかの色ごとに画面に置いていく(細い筆の柄にえのぐを着けてそれをランダムに画面にあてていく)たとえば黄色の一次元の世界があり、緑の別の一次元の世界があるように、それらは錯綜しながら一次元の世界を超えようとする。絵では科学のようにきれいな一次元の世界があるわけではなく、線は他の線と絡み合ったり、先の点と結合したりしながら2次元以上のかたちを生み出そうとする。ここまでがえのぐと筆(柄)とキャンバスとの間で起こっている物質間のできごとで、こちらの関与は少ない。

<Tsushima Maru>detail

 これらは脳のなかでのニューロンとニューロンに交わされる電気信号あるいは伝達物質のやりとりのようなものでそれは人間が意図してやる次元のものではない。電気信号が行き交っているうちにそこにイメージのようなものが生じるのは不思議であるが、色の直線を置く作業はこれをやっているようなものだ。

そのようにしてようやく画面の2次元世界とこちら3次元世界に生きる生命体が接続可能な条件が整ってくる。ここまでが絵の8割がたを占め、あとの一割か二割でようやく絵を描くことが始めるが、この作業がもっとも混乱に満ちている。

<Tsushima Maru>detail

 色的に見れば点描にしても色の線も色彩をそのまま濁らさないでおいていくプロセスだが、筆にえのぐを着けて線をつないだり消したりするのは、そのままいけば色が混じって濁ってしまうことになる。この接戦上に何らかのかたちが生まれる。混乱と汚濁すれすれのところからイメージが生まれる。それと同時に下描きになっているかたちも別の形で浮かび上がってくることもある。

点で消して線でまた消そうとしても浮かび上がる別の次元はなんなのだろう。一種の記憶のようなもので、絵をつくる意思とは別に、違う時間のものとして、予想外の出現をしてくる。