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敗北からの想像力

 1954年のゴジラ映画は、戦争に敗北した側からでて来た想像力なのだと思う。もちろんそれは映画にあるように、水爆実験によって古代の巨大生物が蘇ったものとも言えるし、多くの人が指摘するように第二次世界大戦で太平洋に散った日本軍兵士の亡霊と見ることもできる。第五福竜丸に代表されるマグロ漁船が被爆した、その当時の不安の現れでもあろう。

 そこから生まれた想像力は戦争に敗北したからこそ生まれてくる独自のものであって、決して勝者の想像ではない。いや、むしろ想像力とはいつも失敗や敗北から生まれでてくるものであって、そこに勝者の論理を見てとることはできない。これはポジティブな意味で言っているのであって,決して敗北主義からの言い分ではない。

 ゴジラと言う想像力に私たちがずっと魅かれてしまうのも、先の、水爆だけでなく戦争での敗戦の歴史が関係していると思わざるを得ない。その敗北を直視し、亡霊たちを弔い,亡霊たちと歩む。亡霊は決して消えない存在なのである。

 2011年に私たちは再び大敗を喫した。私たちの多くが科学、とりわけ原子力と、根拠もない未来志向を信じ過ぎ、自らに敗北したと言えるだろう。だからこそ今、私たちはそこから想像する自由と責任をもつ。

 そうして私たちのこの小さいゴジラは3月11日に無数に生まれた。それは津波に消えた無数の命かもしれない。あるいは私たち自身に巣くう小さいゴジラ、あるいはまき散らされた放射能かもしれない。それらがどんなものであれ、私たちはそれとともにあり、それとともに生きていく。