タイムトラベル・AMAMI

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  飛行機に乗っていればほんのちょっとだけ未来に行ける。と言っても地球一周で0.000000059秒だから、成田から奄美に行ったとしてもそれは0がさらに追加されるくらいの、そんな未来だ。 でも人間はそれを実感することができる。ほとんど想像域の話だが肌で感じることは重要だ。タイムカプセルが発明され たとしても、ではなぜそこに行くのか、それがないことには時間旅行しても意味がない。飛行機に乗ってどこかへ行くのはいつもワクワクすることだが、それにはこのほんのちょっとの未来時間への突…

まなざしと写真

日常

 8月の終わりに仙台に行き、写真洗浄のボランティアをやってきた。ボランティアと言っても、これは私の写真への関心があってやっていることだから、厳密にはそのことばが当たらないのかもしれない。とにかく「写真洗浄」の現場に行ってそれをやってみたかった。 その日参加の人たちはすべて初心者で、特定非営利活動法人事務局のTさんからどのようにしてこの活動が始まったか、DVDを見ながらの説明を受けた。部屋にはいたるところに乾燥のための写真が掛けられていて、なかには一部分しか残ってないネガやほ…

paintingsを更新、展示情報も

日常

 サイトの作品のページ、Paintingsを更新しました。今まで過去作としてきたものを80年代作品と90年代作品に分け、それぞれ30点ずつをアップ。また同年代の小品も掲示しました。 以下はそれに関連した展示のお知らせです。 関西の国立国際美術館では11月3日(土)から来年1月20日(日)まで「ニューウェーブ 現代美術の80年代」が開かれる。趣旨にあるように“1990年代、2000年代と下るうちに、どのように変化していったのか”が見れるといい。 私の考えでは80年代は絵画の“…

長澤英俊さんのこと

美術関連

 作品「ゼロ時間」について:長澤 「切った石の切断面はどこにも出ていないんですよ。我々があれを見たときに石の表面しか見えないですね。その裏返しになった世界が蜜蝋なんですよ。あれは反対側に開かれている世界なんですね。あれが閉じると蜜蝋から何から、すべて石の中へ入っていっちゃう、完全に独立した世界になっちゃうということなんです」「だからこれも、空間というよりは時間の問題に入ってくるわけですよ。我々と完全に断絶したもう一個の世界ができちゃうと言う、そういう考えで「ゼロ時間」という…

私はいつも盲目の人を撮った写真に見入ってしまう 

日常

  生者と死者のあわいに生きている。 と言っても息を吸ってまた吐いているのだから、そのあわいとは明らかにまだ生の側にあるようだ。年をとるとはそういう事態を言うのだろう。たとえば夜中、目をつむると種々様々の顔のものたちが目の暗闇に浮かんでくる。それが、たしかにそういう人がいるなという体のものなのだ。逝ってしまった人も出てくるし、まだ見たことも会ったこともない人も出てくる。そういう人たちをじっと見たりしているうちに眠くなって寝てしまう。 昔はこういうことに不安を覚えたと思うが、…

対話「私が生まれたとき」奄美編の展示が始まりました。

美術関連

 対話「私が生まれたとき」奄美編の展示が始まりました。画像はギャラリーでのフロアトーク(25日(日)午後2時より)の様子です。今回のトークの特徴は、私が作品だけでなく、文章を書いてくれた参加者の皆さんと文字通り対話しながら進めることができたことです。思いがけないことや今まで一度も会ったことがないのに、確かに会ったような気持ちになるなど不思議な体験をしました。 古びた写真に映っている人はこちらを見ています。私たちはそれを見て「あ、これは小さいころの私だね」とか「誰それさんだね…

きれぎれの言葉、空洞の身体(2018年卒制、修了制作から)

日常

  今年のムサビの卒業制作と修了制作の中から気になった作品をとりあげたい。作品の展示から3週間も経つと、もう記憶が薄れていくのを感じるが、その中でもやはり忘れられない作品もある。そのひとつが中村葵のビデオ作品だ。    スクリーンには作者とおぼしき身体が斜めに大きく映し出されるが、それ自体はあまり動かない。右上の赤い唇だけが頻繁に動き音声=言葉を発しているのだが、その言葉はきれぎれの言葉で通常の人間が話すような言葉ではない。その内容は、かつて自分の町でおきた蜉蝣の大発生につ…