
この日の夜、状況は一転する。
妻から熱が出てきたとの連絡、38.1度。やはり一緒に住んでいたら感染は必至なのだ。覚悟はしていたが、呼吸器疾患を抱えているのでこれはまずいと思った。夜も遅い、今から検査したり、医者に見てもらうのは困難だ。ひとりでいてもしも悪くなった場合、外部に連絡することができるだろうか?まわりの意見を聞くと、ひどくなったら迷わず救急車を呼ぶ、と言うのが多く、自分もそう考えたが、その場合、疾患のことをわかる病院に行けるのか、心配の種はつきない。夜の10時頃、思い切って妻の呼吸器疾患を見ている病院に連絡すると、看護師さんが出てくれたので状況を説明、患者の確認、家族の確認のあと次のアドバイスをくれた。「解熱剤は何かありますか?解熱剤があれば、熱が出てきて大変になったときにそれを飲めばよい。朝一番で検査して医師の指示に従ってください」
これが大いに参考になって家族も自分も落ち着くことができた。知られていることではあるが解熱剤情報がありがたかった。その晩やはり熱が出てきたが、市販の解熱鎮痛剤で対処することでことなきを得た。
発症確認5日目(ホテル療養4日目)。
妻が陽性とわかる。朝の検温で38度あり酸素飽和度が95ということだ。保健所から連絡があり、ホテル療養か自宅療養を迫られる。病状が悪化した場合、ホテル療養なら呼吸器疾患の状況を踏まえた病院搬送が可能になる、と言われてそちらに傾いたこともたしかだ。同じホテルで療養か。それも悪くない。こんなときには食べることもおっくうだし、自宅でレトルトにも限りがある。ホテル療養なら食事の心配はないし、看護師さんの相談も受けられる。
こちらの状況は体温36.6度、酸素飽和度は98なのでほぼ正常になった。でも喉が痛い。ホテルで用意してあるオレンジジュースをひとくち口に入れたが、ひりひりしみてとても飲めない状態だ。それ以外はよくなった。昼食後のHER-SYS入力のあと看護師さんから連絡があったので、自分の家族の変化の状況を相談すると「じゃ、ホテルから自宅に帰りますか?」と思いがけない提案があり、こちらも「できるのならそうしたい」とこたえ、車の手配など可能かどうか調べてもらうことになった。ほどなく電話があり、「30分で部屋を出る用意ができますか?」「帰ることができます。家族がかかってしまったら隔離の意味はないですから、一緒に自宅療養するほうに切り替えましょう」とのこと。ちょっとは考えていたけど、まさかこんなに早くそうなるとは。躊躇なく「ではすぐ片付けて部屋を出る用意をします」と答えた。それから急いで荷物を整理して来た時と同じように裏口から外に出ると車が停車していてそこに乗るように指示された。係員たちがてきぱきと指示してくれた。看護師さんらしき人もいて、一言お礼を言いたかったが、にこにこして遠巻きだったので深くお辞儀をして感謝の意を表した。ここの看護師さんのサポートはすばらしかった。着いたときからこちらの症状を聞いてくれ、きめ細やかないい対応をしてもらった。どれだけ力になったことだろう。車には自分と同様に家族も感染してしまったので、ホテル療養を自宅療養に切り替える人が乗りこんでいた。車が発車してからその人と話す。ホテル療養の制度についての話になったが、このシステムがよくできていて、特に看護師がすぐに対応してくれたことについて意見が一致した。一番つらかったのは入って初日の夜、ぜんそくのせいで咳がやまず、眠れなかったことだとも話してくれた。こちらも咳き込んで息苦しかった夜を思い出す。そうして時間が経ち、おたがいの健闘を祈り分かれた。
自宅で妻の症状を確認する。体温37.5度、酸素飽和度は95。そんなに悪くはなさそうだ。かかりつけ医の判断でラゲブリオを処方されたがそれが効いているようだ。よく聞くウィルスの増殖を抑える薬で一般名はモルヌピラビル。薬価も高く、他の錠剤が7.9円、10.1円などという価格のところ、ラゲブリオ1カプセルは2357.8円もする。一回4カプセルを一日2回、5日間服用となっている。この薬の投与に関しては、妻の呼吸器系疾患を診ている医師にも確認したが妥当ということであった。ぼくの場合とは薬の種類が違ったが、これは検査前に呼吸器系疾患の詳細を医師に伝えていたために医師が配慮した結果なのだろう。そうしてそれが功を奏した。
少なくとも今は重症化せずにすんでいる。ありがたいことだ。
たぶんフェイズが変わって、今は多くのひとが感染するのは避けられない状況になってきている。子どもや若い人たちは軽症ですむから深刻でないかもしれないが、ぼくのような高齢者や、他の疾患を持つものにはやはり重症化のリスクがある。でも新型コロナ感染の初期とは明らかに違って、今は重症化しないための体制が整ってきているように感じる。地元の医師、保健所、ホテル療養、自宅療養と多くの医療従事者にお世話になりながらそのサポート体制がうまく機能しているのを感じた。感染してしまったらできるだけ早く行動することで重症化のリスクは避けられる。
ラゲブリオは赤茶のカプセルだ。「マトリックス レザレクション」では、主人公のネオが赤いカプセルを飲んで過酷な現実を生きるか、青いカプセルを飲んで仮想現実のマトリクスのなかで生きるか、究極の選択を迫られる場面があり、ネオは赤いカプセルを飲んだ。
赤茶のラゲブリオをじっと見る。ものがたりの世界ではなく現実の世界でひとつの体の危機を救ってくれたことはたしかだ。